加藤登紀子の夫の浮気相手(恋人、彼女)は大物文化人?誰?夫の死因は?娘の現在は?

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今回はシンガーソングライター・加藤登紀子にスポットを当てていきます。

“おときさん”の愛称で親しまれている加藤登紀子、亡くなった夫とは獄中結婚だったことや、函館のハイジャック事件に巻き込まれるなど、波瀾万丈な人生を送られています。

そんな加藤登紀子の夫や娘について調べていきましょう。

加藤登紀子の夫の死因はがん?

加藤登紀子は1972年に学生運動指導者の藤本敏夫と結婚されましたが、2002年、58歳の時に亡くなっています。

夫の死因は何だったのかと言うと…

藤本さんの死因について2002年7月31日に放送された『テレビ朝日』は次のように報じています。

「歌手・加藤登紀子(58)の夫で自然農法家の藤本敏夫さんが肺がんから肺炎を併発し、31日午後3時過ぎ入院先の病院で亡くなった。58歳だった。」

上記の通り、藤本さんの死因は「肺癌」および「肺炎」でした。

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とのことです。癌と肺炎が併発なんて、さぞ辛かったでしょうに…。

調べてみると、肺がんを患うと肺炎を併発することはよくあることだそうです。それも男性が多いみたいです。

藤本敏夫もそのパターンだったのですね。

加藤登紀子の夫(藤本敏夫)の浮気相手(恋人、彼女)は大物文化人?一体誰?

加藤登紀子の夫・藤本敏夫を調べていくと、「浮気」「彼女」といったキーワードを目にします。気になるので掘り下げてみることに…

加藤登紀子さんの夫に恋人がいたと番組に出演した時に加藤登紀子さん自身が言った爆弾発言が話題になってましたが…

加藤登紀子さんの夫の恋人が誰なのか?という部分に関しては、闘病中に医師が「一番いいのは恋をすること」とアドバイスをもらい加藤登紀子さん自身も夫のために恋人探しをしていたようですね。

でも…加藤登紀子さんの夫には既に恋人がいたらしく、その恋人の名前はわかりませんが、「大物文化人」だとの事です。

妻である加藤登紀子は医師のアドバイス通り、夫のために恋人探しをしていたが、夫には既に恋人がいた…これは浮気にならないのでしょうか?ほとんどのサイトで浮気ではないと書かれていますが、これ立派な浮気ですよね(笑)?

まぁ、浮気か浮気じゃないかはどうでもいいとして、その”大物文化人”が一体誰なのか気になりますよね。

残念ながら、正体は不明でした…。この先明かされることはないでしょうし、これ以上詮索するのはやめておきます(笑)。

加藤登紀子と夫(藤本敏夫)の馴れ初めは?学生運動時代で獄中結婚?

今更ですが、2人の馴れ初めを紹介していきましょう。

週刊誌で加藤さんの姿を見た友人から、相談があると言われ行ってみると、そこには同志社大学の学生で学生運動を率いていた藤本敏夫さん(当時の反帝全学連副委員長)が。

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そして、藤本さんには「学生の集まりで歌ってほしいと 」と頼まれたそうですが、自分の歌を薄っぺらいプロパガンダ(政治的意図に基づく宣伝)

に利用されるのが嫌だったうえ、かといって当時の加藤さんには思いを託せるほどの歌も持ち合わせていなかったことから、「歌と政治をからめたくない」とその場は断られ、その後はみんなで朝まで飲み明かすことに。

ただ、始発電車で帰る時、振り向きもせずさよならも言わず去っていった藤本さんの後ろ姿が、妙に心に残ったそうで、やがて加藤さんは明治大学学友会館に寝泊まりしていた藤本さんと密かに逢瀬を重ねるようになり、2人は交際することとなったのでした。

だそうです。その後、色々あって藤本敏夫は逮捕され刑務所に入るのですが…

様々な闘争事件に関与したことで入出獄を繰り返し、ついに1972年4月には「公務執行妨害」などの罪で逮捕されて、懲役3年8か月の実刑を言い渡され中野刑務所に収監されてしまいます。

そして、そんな中加藤さんの妊娠が判明。当然、周りは藤本さんとの交際を猛反対するのですが、お母さんだけは、

「あの人は、あんたのお守りさんやから交際を続けなさい。女は「この人」という人ができると、とても落ち着くもの。その大事な一人をなくしたときに、あなたはどうなってしまうかわからない。」

と背中を押してくれたそうで、1972年、加藤さんは藤本さんと獄中結婚され、同年、独りで女の子を出産されたのでした。

お母さんの後押しがあり、獄中結婚を決意したようです。

藤本敏夫のやってきた事は置いといて、相当な覚悟があったのでしょう。子育てしながら刑務所にいる旦那を支えるなんて、よっぽどの精神力じゃないとやっていけませんからね。

加藤登紀子の娘(次女:yae)は歌手でカフェを経営?長女の現在は?

前述で少し触れましたが、加藤登紀子には3人の娘さんがいます。

1972年に加藤さんが独りで出産された長女の美亜子さん(藤本さんによる命名で「美しい亜細亜の子」という意味)のほか、1975年、1980年にも女の子が誕生。

長女の美亜子さんと三女(名前は不明)は一般人であるため詳しいことは分かりませんでしたが、次女は「Yae」名義で1995年に音楽劇「コルチャック先生」で女優デビューされると、1996年頃からは歌手としても活動されているそうです。

2018年にはアクティビストチーム「MOTHER EARTH」の一員として、環境省「つなげよう、支えよう森里川海プロジェクト」のアンバサダーに任命されているそうです。

残念ながら長女と三女の情報はほとんどありませんでしたが、次女のYaeさんは芸能活動をされているそうですね。

そして、藤本敏夫が建てた千葉県にある『鴨川自然王国』の園内に『En』というカフェがあるのですが、これはYaeさんではなく母親の加藤登紀子が経営しています。

凄くおしゃれなカフェなので私も機会があれば足を運んでみようと思っています。

まとめ

加藤登紀子についてまとめてみましたが、いつも芸能人を調べて思うのは、年配の方ほど壮絶な人生を歩んでいるなぁと。

生きてる時代が違うので当たり前ですが、加藤登紀子のような人の経歴や生い立ちを見ると、私なんてまだまだだなと、逆に頑張ろうと思えます(笑)。

加藤登紀子にも、まだまだ現役を続けてほしいですね。

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