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今回お届けするのは宮沢りえの母親に関する話題です。
宮沢りえといえば今や日本を代表する美人女優ですね。
いくつになっても衰えない美貌に性別を問わず多くの人々に支持されています。
そんな宮沢りえの母親・りえママにフォーカスを当ててみました。
りえママの名前は宮沢光子というそうですが、一体どんな人物なのでしょう。
宮沢光子はどうやら毒親といわれているようですね。
毒親育ちの芸能人って割と多い気がしますが、宮沢りえの母親の毒親っぷりはどんなものだったのか…
気になりますよね。
また宮沢光子は既に亡くなっているようですので、どんな最期を過ごしたのかもご紹介します。
宮沢りえの母親・宮沢光子の人物像に迫りましょう。
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宮沢りえの母親・宮沢光子はどんな人!?若い頃は超綺麗だったらしい!画像公開!?
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まずは宮沢りえの母親・宮沢光子の経歴や職業について確認していきます。
国民的大女優である宮沢りえですが、りえママ抜きにしては語れません。
そして宮沢りえの母親ということでどれくらい美人なのかも気になるところです。
この見出しでは宮沢りえの母親の職業や容姿に関する話題をお届けします。
母親の人物像が気になる!元六本木のホステスだったってマジか!
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まず、宮沢りえの母親の名前は宮沢光子といいます。
宮沢光子について調べていくと職業について注目が集まっていることが分かりましたが、なんと元六本木のクラブのホステスだったというのです。
スゴいですね~。
六本木のクラブなんて相当容姿が長けていなければ働けませんよ。
そもそもりえママは90年代にかけて宮沢りえ以上に有名でワイドショーの中心だった人物。
相当ビッグな女性だったことは間違いないですよね。
母親・光子の若い頃が超綺麗だったと加賀まりこも証言!その画像はある!?
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ワイドショーでも有名だったりえママですが、やはりその容姿はかなりレベルが高かったようですね。
六本木のクラブのホステスということでかなり美人であることが予想できます。
実はあの大物・加賀まりこが宮沢光子の容姿についてある証言をしているのです。
なんと加賀まりこいわく、全盛期の宮沢光子は宮沢りえよりも綺麗だったそう。
宮沢りえよりも綺麗な女性なんているんですかね?!(笑)
想像がつきませんが、相当キラキラしていたのでしょう。
宮沢りえにとっても誇らしい母親だったんだろうな~と思いましたが…
りえママこと宮沢光子はなかなか恐ろしい人物だったようです。
宮沢りえの母親・宮沢光子の旦那はオランダ人!出会いや結婚生活がえぐい!
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宮沢りえの母親・宮沢光子についてお話ししています。
宮沢光子は元六本木のクラブのホステスで全盛期は宮沢りえよりも綺麗だったということでした。
かなりの美人だったりえママですが、宮沢りえの父親とはどのようにして知り合ったのでしょう。
そもそも宮沢りえの父親はどんな人物?
父親と母親の馴れ初めや宮沢りえが生まれてからの壮絶な結婚生活をみていきましょう。
母親・光子とオランダ人の元旦那は船乗り!留学中の出会いだった!馴れ初めを徹底調査!
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宮沢りえの父親、つまりりえママの旦那はどうやらオランダ人だったようです。
つまり宮沢りえはオランダと日本のハーフということですよね。
宮沢りえにオランダ人の影響が出ず、ハーフだと話題にならなかったため知らなかった方も多いのではないでしょうか?
もともとオランダ人の父親は船乗りで、宮沢光子とは渡航中に出会い恋仲に発展したといわれています。
詳しい馴れ初めについてはまり情報がないようですが、親密になってすぐに宮沢りえを妊娠しました。
恋愛関係になってすぐ子供を授かるなんて情熱的な恋愛だったんでしょうね。
母親・光子は、娘を産んだら娘を日本に残してオランダへ!そんなことってある!?
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宮沢りえの母親・宮沢光子はオランダ人の旦那と出会い、すぐに宮沢りえを授かっていますがその結婚生活はなかなか奇天烈なものでした。
なんと宮沢光子は自身の父親、つまり宮沢りえのおじいちゃんに宮沢りえを預けて単身でオランダに渡ったのです。
そしてオランダで旦那との生活をスタートさせました。
こんなことってありえるのでしょうか?
大事な我が子は父親にあずけて自分は甘い新婚生活…
しかもわずか4ヶ月で宮沢光子と旦那は破局しているのです。
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そのため宮沢りえには父親の記憶が全くないそうです。
生後間もなくおじいちゃんに預けられてしまった宮沢りえは幼いながらも不安だったことでしょう。
しかも父親と母親はすぐに破局…
子供に悪い影響を与えてしまうのでは?と不安になるエピソードですね。
しかし、りえママの恐ろしさはこれにとどまるところを知りませんでした。
宮沢りえの母親・光子は毒親で有名!?無限に出てくる毒親エピソードがエグすぎる!
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宮沢りえを置いて旦那と新婚生活を送るもすぐに破局してしまった宮沢光子はそれ以降毒親っぷりを発揮し始めます。
もう既に毒親らしいエピソードが数々出てきていますが…
ここからはそれらを超越する宮沢光子のとんでもない毒親っぷりをご紹介します。
あの宮澤りえがこんな恐ろしい過去を抱えていたなんて今回初めて知りました。
さっそく見ていきましょう。
母親・光子が毒親発動したのは旦那と離婚してから!ターゲット変更で宮沢りえを酷使!
画像引用元:exciteニュース
宮沢りえの母親・宮沢光子は今でいう毒親だったともっぱらの話題です。
オランダ人男性と離婚したあと、宮沢光子は宮沢りえが18歳になった年にふたたび家族として同居を開始します。
宮沢光子は宮沢りえのことを溺愛していましたが、それが行き過ぎたのでしょう。
もともと宮沢光子は宮沢りえを芸能界入りさせようと考えていましたが、11歳の頃にそれが実現してハーフモデルとしてデビューを果たします。
宮沢りえはデビューしてすぐにティーン向けのファッション雑誌の表紙モデルが決まり、爆発的な人気を誇ることになりました。
それを逆手にとった宮沢光子は宮沢りえを酷使。
要は、子どもを使って稼げるだけ稼ごうと思っていたということでしょうね。
18歳になった宮沢りえと同居を開始させたのはそのためだったのかもしれません。
毒親の定義って!?親子の関係が歪んでる?
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宮沢りえの母親・宮沢光子は毒親だということですが、そもそも毒親ってどんなどんな親を指すのでしょうか?
毒親の定義としてまず挙げられるものは「無意識の支配」だそうです。
表面的には親子関係が良好に見えて気持ちが通じ合っているように見えても、それは親の一方的な干渉によって成り立っているというパターンがよくあるようですが、これは典型的な毒親の例です。
また毒親には「子供に尽くしていると思い込んでいるパターン」と「産んだ瞬間から愛情がないパターン」があります。
宮沢りえの母親も娘を溺愛している(尽くしている)という名目で宮沢りえを操作・支配し自身の目的のために酷使していたのではないか?と私は思いました。
そして毒親は不思議なことに母と娘という組み合わせがよく見られます。
同性の親子は少なからず反発しあうものですが、母と娘となるとその心理が強くはたらいてしまうとのこと。
おそらく母親も娘もそうした不健全な関係になっていることに自覚がないため抜け出せないループなのでしょう。
母親・光子は娘の仕事からプライベートまでを完全支配していた?毒親エピソード多数!
画像引用元:https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/249297
宮沢りえは自身に父親がいないため母親を全面的に信頼し、芸能活動でのマネジメントを全て母親に任せ従っていたようです。
宮沢光子は宮沢りえのことを必死に売り込み、宮沢りえの仕事はどんどん決まっていきます。
番組制作プロデューサーに徹底的に入り込み、大物俳優や大物タレントに宮沢りえを売り込む力はものすごかったそうです。
しかし、りえママの立ち振る舞いは一部の関係者からは賛否両論だったとのこと。
強引だったみたいですし、仕方ないのかな…
そして宮沢光子のマネジメントはどんどんエスカレート。
宮沢りえが17歳のときにはふんどし姿のバックショットをカレンダーに掲載、そして18歳のときにはみなさんご存知のヌード写真集を発売させました。
宮沢りえの抜群のスタイルを拝むことができるのは眼福ですが、母親がマネジメントしていたと考えると恐ろしいですね。
そして宮沢光子が支配していたのは宮沢りえの仕事だけではありませんでした。
宮沢りえは母親のために貴乃花との婚約破棄していた!?
画像引用元:https://diamond.jp/articles/-/237749
宮沢りえは19歳のときにある大物と熱愛報道をスクープされます。
そのお相手は当時若貴フィーバーで相撲界の人気を担っていた横綱貴乃花関です。
交際も順調に進み、婚約会見もすぐに行われましたが明るい話題は2か月半後に終わってしまいます。
突然婚約破棄をしたのです。
なんとこの婚約破棄の裏側には、宮沢光子がまだ稼ぐことができる宮沢りえを無理やり別れさせたなどというネガティブすぎる噂話が付きまとっていたのです。
これが事実だとしたら、宮沢光子は宮沢りえのプライベートまで支配していたということですよね。
その影響で宮沢りえのルックスは不健康になり、ハーフモデルという印象は全くなくなり仕事もうまくいかなかったそうです。
母親・光子が娘に枕営業を強制していたってマジ!?枕の相手が気になる!
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宮沢りえは貴乃花との婚約破棄後にも、スキャンダルが後を絶ちませんでした。
多くの男性と噂になった宮沢りえですが、りえママの影は絶えず付きまとっていたそうです。
その典型的な例がビートたけしとの不倫疑惑。
当時宮沢りえはCMや映画でたけしと共演し、1992年にはシングル「心から好き」の作詞をたけしが務めるほど。
これも宮沢光子が仕掛けた話題性を狙った手法だったのでは?と世間は見ていました。
そして宮沢光子の毒親っぷりは1993年に明らかになります。
当時宮沢光子は雑誌でエッセイを連載していましたが、その中でビートたけしと宮沢りえの恋愛関係に「2人はまるでおままごとみたいな恋愛ごっこで歯がゆい」とダメ出し。
宮沢りえの恋人はたけしだ、と綴っていましたがビートたけしは当時既婚者。
娘が不倫していることを公言しているようなものですよね。
画像引用元:Twitter
そのうえ、なんと同エッセイの中で宮沢りえに早くビートたけしと肉体関係を持つよう催促するような発言をしていたのです。
20歳になったばかりの娘にそんなことを言うなんて毒親以外の何物でもないと思ってしまいますよね。
たけしと宮沢りえには様々な噂がありましたが、宮沢光子のエッセイを読むとあながち嘘とは思えないという見解もあります。
芸能人の親に毒親が多い!?毒親に苦しめられた芸能人まとめ!
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宮沢りえの母親・宮沢光子の毒親っぷりについてお話ししてきましたが、芸能界には案外毒親のもとで育った人が多いようですね。
たとえば、あの元モーニング娘。メンバーであった加護亜依も毒親育ち。
加護亜依の母親の場合宮沢光子とは違い放任タイプでしたが、ダメ夫との離婚と再婚を繰り返し加護亜依の貯金をすべて食いつぶしたという点はまさに毒親。
他にも内山信二の母親も息子のお金を使って豪遊していたというエピソードが。
健全な感情を持っていれば、子供の収入は子供のものという線引きができそうですよね。
さきほど挙げた例のどの毒親も、子供がかなり稼いでいるという共通点があります。
それを利用する親はまさに私利私欲。
子供を思いやっているように見せて自分の欲求のために搾取しているように感じますね。
宮沢りえの母親「りえママ」の死因は肝腫瘍!壮絶な最期が想像以上だった!
画像引用元:https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/207030
そんな宮沢光子は2014年9月23日に亡くなっています。
死因は肝腫瘍。
なんと65歳という若さだったのです。
あまりにも若すぎますよね。
宮沢りえの人生にいい意味ででも悪い意味でも影響を与えた宮沢光子の壮絶な最期に注目していきましょう。
宮沢りえの母親は肝腫瘍を患っても延命しなかった!?自宅療養を選択した理由は?
画像引用元:https://insta.3minute.site/post/2174424173165945828/
宮沢光子は65歳の若さで肝腫瘍で亡くなったということでしたが、実は自宅療養で延命治療をしていなかったといいます。
宮沢光子は延命治療をしなかった理由については明かされていないようですが、宮沢光子の部屋から桜が見え、その際に「来年もこの桜が見たい」と言ったというエピソードを発見しました。
この発言を宮沢りえは傍で聞いていたそうですが、このときはじめて母親の生に対する執着を感じたようです。
つまり、それまで宮沢光子は生に対する執着がなかったのかもしれません。
今を生きるという感覚が強かったのではないでしょうか。
そしてこの発言は宮沢りえを安心させるためだったのではないかと宮沢りえと番組で共演した笑福亭鶴瓶は語っています。
宮沢光子は最期まで宮沢りえを思いやっていたのでしょうね。
宮沢りえは母親が亡くなって解放された!やっと自分の人生を生きられるようになったのか?
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では、宮沢りえは宮沢光子が亡くなったことで毒親の呪縛から解放されたのでしょうか?
女性向け掲示板内では当時「母憎んでいたと思うけど」などと宮沢光子の手から逃れられたことに安堵する声が寄せられていたようです。
実際、2009年にハワイ在住の日本人実業家の男性と結婚し妊娠した際には宮沢光子が反対したというエピソードもあります。
つまり宮沢光子が生きていたら、宮沢りえは結婚という選択をすることしかできなかったということでしょう。
しかし、宮沢光子が亡くなってから4年後の2018年に宮沢りえは森田剛と結婚しています。
おめでたいですよね。
40代を半ばにしてついに自分の幸せのために歩み始めたのでしょう。
もちろん母親が亡くなってしまったことは悲しいことでしょうが、今の宮沢りえは自分のために生きることができるのです。
今後は誰の目を気にすることもなく自身の選択で前に進んでいってほしいなと思いました。
宮沢りえが母親の死から感じたことが感動的!本当は仲良し親子だったのか?
画像引用元:http://gungun-tree.website/entry/2016/12/22/153257
宮沢りえは、母・宮沢光子が亡くなったときにやっと母親との確執を乗り越えることができたといいます。
宮沢りえは光子を看取ったそうですが、その際のときのことを
「息を吸って吐けることがすごいことなんだと教えてくれたし、命に限りがあると告げられた人に誠実さを欠いちゃいけない」
と語り、訃報の際にも親子関係で様々なことがあったことを感じさせるコメントを寄せています。
訃報の際には
「最期に、生きることの美しさと、凄まじさと、その価値を教えてもらいました。
そういった全ての宝物を胸に、私は、役者として、母として、女として、惜しみなく生きようと思います」
という声明を明らかに。
確執こそあったものの、宮沢りえは本当は宮沢光子のことを尊敬し、また宮沢光子も宮沢りえのことを誰よりも愛していたのかもしれません。
身近な人の命が尽きるというのは悲しいことですが、その命の尊さに気付くこともできるのでしょうね。
まとめ
画像引用元:https://www.crank-in.net/news/71998/1
今回は宮沢りえの母親・宮沢光子についてお話ししました。
いかがだったでしょうか?
宮沢りえは今や誰もが知る大女優ですが、こんな過去があったんですね。
傍から見れば毒親ですが親子の関係というのは当人同士にしか分かりません。
母親の最期を看取った宮沢りえのコメントからも分かるように、宮沢光子と宮沢りえの間には目に見えない絆があったのでしょう。
長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
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