中村獅童の死去した母親(小川陽子)の死因は?父親(初代中村獅童)は廃業?

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名前:中村獅童 本名:小川幹弘 出身地:東京都 生年月日1972年9月14日 身長:177センチ 学歴:日本大学芸術学部演劇科中退 所属:中村獅童事務所

中村獅童の母親・小川陽子はある会見でこう語りました。7歳で歌舞伎界に入った中村獅童について「最初、この子にこの子に役者は無理と皆さんがおっしゃった。わたしは負けん気が強いから何くそ、やらせてみせると思った」と元気に中村獅童のことを語っていました。

中村獅童の歌舞伎役者としてのキャリアは母親の存在が非常に大きな役割を果たしました。そんな中村獅童について調べてみました。

中村獅童の死去した母親(小川陽子)の死因は?韓国人なの?写真は?

中村獅童の母親は小川陽子といいます。中村獅童は叔父の萬屋錦之介さんの演技に憧れて、幼いころから歌舞伎役者を目指していました。

しかし父親が途中に先輩に盾突いて歌舞伎を辞めてしまったという、歌舞伎の世界ではあってはならない汚点を残したため、名門に生まれながらも歌舞伎界に後ろ盾がなく、役も端役ばかりで付き人も無く、身の回りのことは全て自分でこなさなければならないという位置からのスタートでした。

中村獅童は途中で歌舞伎を放り投げて、ロック音楽に手を染めますが、やはり歌舞伎への憧れは断ちがたく、20歳を迎えて将来を考えた時に、やはり自分には歌舞伎しかないと、復帰を決意しました。復帰後も端役ばかりしか回ってこない不遇の時代が続きましたが、どんな時も一貫して中村獅童のことを考えて、尽くしてきたのが母親の小川陽子だったのです。


付き人のいない中村獅童の楽屋に入れる鑒台などの道具運びを手伝ったり、歌舞伎から離れるときも、ロック音楽に没頭していた時にも歌舞伎に復帰する時も、いつでも母親・小川陽子は中村獅童を応援し、一番の味方でした。

資金繰りに苦しい時も、多忙の合間を縫って、自宅にブティックを開いて、着物の刺繍したり、裁縫教室を開いたりして、お金の工面に奔走知っていたそうです。そんな母親・小川陽子の懸命のバックアップもあって、やがて中村獅童は、あの中村勘三郎にも認められ、引き立ててもらえるようになり、歌舞伎の世界でも重要な役どころを演じさせてもらえるようになります。

歌舞伎以外でもドラマや映画でも地道に活動を続け、映画「ピンポン」のドラゴン役として出演し数々の賞をもらい映画俳優として認められるようになっていきます。名門に生まれながら、後ろ盾のない叩き上げ、という非常に珍しい経歴の中村獅童ですが、一人の力で成し遂げたことではなく、とりわけ母親・小川陽子の存在がおおきかったのですね。

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しかし、そうやって中村獅童を支え続けてきた小川陽子は2013年12月17日、心不全のために73歳で突然の死を迎えます。浴槽に浸かったまま息を引取ったのだそうです。

中村獅童の言葉です。「おふくろがつくった、小川陽子がつくった最高傑作だったと言われるような役者になれるよう頑張ります」「自分は弱い人間です。思っている以上にお母さん子だったみたいで、おふくろがいないと何もできないんだなということが、今ごろになって分かりました」

中村獅童にとって、小川陽子の存在がいかに大きかったかよく分かる言葉です。それから、小川陽子のことをじっくりと調べましたが、日本人であることに間違いありません。

中村獅童の死去した父親(初代中村獅童)は歌舞伎座を廃業し銀行員に?

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中村獅童の父親である初代中村獅童 本名:小川三喜雄(おがわみきお) 生年月日:1929年9月28日
出身地:東京都 父親は三代目・中村時蔵 妻:小川陽子 息子:二代目・中村獅童
初代中村獅童は伝統ある歌舞伎一家に産まれます。5人兄弟の3男として生を受け、当たり前ように歌舞伎の道に進む事となります。5人兄弟は長男:二代目・中村歌昇 次男:四代目・中村時蔵 三男・初代・中村獅童 四男:萬屋錦之介 五男:中村嘉寿雄です。

兄弟は芸を交え、喧嘩することもありましたが、助け合い仲は良かったといいます。中でも中村獅童と一番仲が良かったのはすぐ下の弟、萬屋錦之介でした。よろずやきんのすけ略して「よろきん」です。

役者としての才能がずば抜けていた弟「よろきん」に中村獅童は自分と比較し歌舞伎の世界に身を置くことに疑問を感じていました。そんなある日、弟「よろきん」が大御所の役者に叱られているのを目撃します。

「それでも時蔵の息子なのか」と大好きな弟が芸について失跡されているのを見て中村獅童は思わず、怒ってしまうのです。付けていたカツラを投げつけ、大御所に食って掛かったのです。

これは歌舞伎界で生きていくことの終わりを意味します。自身の役者としての才能に疑問を感じていた時期でもあり、若かった中村獅童はアッサリと辞める決意をするのです。

その後、初代・中村獅童は役者とは全く関係のない職、銀行員になります。銀行員なんて、なりたいと思ってもなれる職ではないので、頭も良かったのでしょう。

この後、銀行員を経て東映プロヂューサーとして弟・萬屋錦之介と中村嘉寿雄をバックアップしたといいます。その間、小川陽子と結婚し、10年経ってようやく、待望の息子、小川幹弘(二代目 中村獅童)を授かります。

東映を退社した後、息子のために中村獅童事務所を設立し、自らは会長になります。初代・中村獅童は2008年10月11日79歳で胃がんにより死去しました。

まとめ


二代目・中村獅童は父、初代・中村獅童 母・小川陽子の精一杯の愛情のなかで育ったのが良く分かります。亡き母、小川陽子への「おふくろがつくった、小川陽子がつくった最高傑作だったと言われるような役者になれるよう頑張ります」という言葉通りに精進することを見守っていきたいと思います。

お読み下さり有難うございました。

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